ファミコンの思い出
7月15日は、ファミリーコンピュータの発売日だそうです。
今日は何の日? ファミリーコンピュータ発売(1983)、ドンキーコング発売(1983)
奇しくも、文字通り世界中のゲームファンが震撼し、涙と哀悼を禁じ得なかった任天堂の岩田社長の訃報があったばかり。個人的にも、「スプラトゥーン」で数年ぶりに任天堂ハードに復帰したところで、ファミコンど真ん中世代としては、任天堂について思い返すことの多いこの頃でした。
せっかくなので、資料をググりながら記憶と照らしあわせて、ファミコンの思い出でも書いてみたいと思います。
ファミコン以前のゲーム事情
ファミコン発売の1983年は、たぶん小学校3年生だったと思います(年がバレる)。
それ以前のゲームというと、電子ゲーム(いわゆるゲームウォッチ)が主流でした。ボタン電池で動く、手のひらサイズのゲーム機。
思い出深いところだと、それぞれ1982年発売のモンスターパニックや影忍者、任天堂のドンキーコング。
据置型のゲームもあり、スペースディフェンダーは、床に寝そべって、相当やりこみました。
当時、外遊びと同等に、みんなで電子ゲームを持ち寄って、外でゲームすることもよくあったと記憶しています。
ファミコン発売の1983年辺りから電子ゲームは下火になっていったそうですが、個人的には、1984年発売のウィングマン 必殺デルタエンドを持っていたので、そのころまでは電子ゲームも遊んでいたと思われます。
ファミコン登場
最初にファミコンを見たのがいつどこでだったかは記憶にありませんが、気づくと友達の家でファミコンをすることがだんだん増えていました。
Wikipediaのファミリーコンピュータのゲームタイトル一覧を見ると、1984年にはかなりの友達が所有し始め、1985年には、完全に遊びの主流はファミコンになっていたと思います。
我が家にファミコンが来た日
ファミコンを買ってもらった当時、ブームが始まりつつあり、品切れでなかなか手に入らない時期だったんでしょう。
「ディスカウントスーパー丸八」という安売りの店でファミコンが販売されると知って、母に頼み込んでクルマで連れて行ってもらったものの、残念ながら売り切れ。車の中で泣いて帰りました。
それからどれくらい経ったか、夕方学校から帰ってきて2階に上がると、薄暗い部屋の勉強机の上に、あの銀色の箱が…!
一緒にあったのは、「マリオブラザーズ」でした。
自分のファミコン人生の中で一番「美しく」記憶に残っているシーンです。
おかげで、それがいつだったのか、親にどう感謝したのか、そもそもしたのかどうかもよく覚えていませんw。どこで買ってきたのかとかも聞いてないような気がしますが、思えばいったいどうやって手に入れてくれたんだろう?
いつ、というと、買ってもらったファミコンは、四角ボタンでした。
ググってみると、初期の出荷のみ四角ボタンだったとのこと。品薄であったことを考えると、そうそう後まで四角ボタンの在庫があるとは思えないので、1983年か1984年の早いうちには買ってもらったのかもしれません。
ディスクシステム登場
買ってもらった経緯は、こっちはまったく覚えていません。親に申し訳ない…。
でも、かなり早い段階で買ってもらったのは確かです。
最初はもちろん、「ゼルダの伝説」。
ディスクシステムは名作がかなり多く、また書き換えも500円(説明書が100円で実質600円)と子供の小遣いでもなんとかなるレベルだったので、ずいぶんたくさんのゲームを経験しました。ゲーム好きな子には結構普及していたので、貸し借りで遊んだゲームも少なくありません。
個性的なゲームも多く、個別に語り出したらきりがないほど思い出があります。
ディスクシステムといえば、忘れられないのがディスクライターとディスクファックス。
「おもちゃのウシバ」や三交百貨店のおもちゃ売り場にあったそれは、まさに夢の機械でした。今思うとなんてことないもんですが、あのでっかい筐体とでっかい書き換え用カセットの「なんかすごい未来感」は、当時のファミコン少年たち共通の印象だと思います。
今の子供たちは、ICT機器やネットワークを理解するまでもなく当たり前のように使っていますが、当時の自分たちも、磁気ディスクや通信みたいな親たちにもあまり馴染みがない技術を、おもちゃを通して使ってたんですねぇ。
ファミコン後
小学校の5年か6年の頃、YAMAHAのMSX2、CX7/128を母に買ってもらいました。母はヤマハ音楽教室の講師をしていたので(現在も音楽の仕事は継続中)、その関係だったようです。
MSXが来てから、徐々に心がゲーム機からMSXに向いていき、中学に入ってからは、友達にファミコン一式を譲ってしまいました。
CX7/128、お値段10万円!子供に買い与えるにはあまりに高価!高いだけあって、作りもかなり堅牢で、高級感があります。
裏の専用スロットに、シンセサイザーユニットが刺さっていました。はっきり言って、オーバースペックにもほどがあります。あそこで音楽に目覚めていたら、また人生変わっていたかも。
ファミコンとディスクシステム以外に、ファミリーベーシックも買ってもらっているんですが、当時生活は結構苦しかったと聞いてた割に、ずいぶんと色々買い与えてくれたもんです…。
そして現在
ファミコン少年もすっかりおっさん…人の子の親になり、気づいてみたらその子も、6歳にしてすっかりゲーム大好きに育ってしまいました。
スプラトゥーンやらせたら親よりうまいってどういうこと…?
息子はもちろんハイデフ3Dネイティブ世代ですが、実家に帰ったときには、レトロレームをスペック問わず楽しんでくれます(ムジュラの仮面と巨人のドシンがお気に入り)。
自分たちが小学生の時にファミコンで出会ったマリオやゼルダは、完全に二世代、三世代に渡るキャラクターになっているので、ファミコンの血脈は、直接この子たちにつながっていくことと思います。